大学における体育会活動の理念について感じたこと

これはC-merが2020年4月に書いていながら、結局公開していなかったものに対して、微加筆修正したブログです。情報や価値観が古い可能性は高いです。

注意

  • 本ブログはいかなる組織・団体を代表としたものではありません。また、実在する組織・団体との関連もありません。
    • さらにいえば、一個人が各々の団体について把握するのは無理です。
  • これはあくまで一意見です。
  • 興味ない人も多いと思うのでつまらないと感じたらすぐにブラウザバックしてください。

想定する読者

  • 暇な人。
  • 大学の新入生
    • どういう感じで体育会に入れば良いかイメージつくと思います。まあ、肩肘張りすぎるのもよくないですが。

前提の話

  • C-merは某大学の体育会団体に入っていました。
    • "一般的には個人競技とされる活動"をしていたとしておきます。チームにおける戦略云々の話は話を複雑にしますし、一般性に欠けるのでここでは述べません。
    • ここでは某大学における体育会活動に限定してます。それ以外の場面については知りません。
  • 体育会の理念云々に関しては先日塾体育会から更新された体育会への入部を考えているみなさんへが大変よく纏まっていると思います。自分の考えていることも完全にここに基づいています。

慶應義塾体育会のモットーは「文武両道」です。塾生の本分は勉学にあることはいうまでもありません。そのうえでスポーツ・武道に勤しむのが慶應義塾体育会部員です。しかも体育会部員には、所属する部活動において、自ら思考して実践することが課せられています。与えられた課題を盲目的にこなすのではなく、自らの課題を発見し、不断の努力で成果を得るということが求められているのです。このために部活動は大学生活を否応なしに充実したものにします。そして日々切磋琢磨することで、生涯の友にも出会うことができます。

  • 逆に言えば、本ブログはこの3,4行の文章や福澤先生の言葉をC-merの実体験をもとに解釈しているだけです。

大学で活動するということ

教育機関である大学で体育会活動をするということは勉学を基本に課外活動としてしています。体育会生は「塾生の模範」たるように言われる機会は多くありますが、この「模範」はもちろん体力やスポーツ・武道における技術の面で優れているという訳では無いです。義塾の目的とする「社会の先導者」としての模範であります。

慶應義塾は単に一所の学塾として自から甘んずるを得ず。其目的は我日本国中に於ける気品の泉源、智徳の模範たらんことを期し、之を実際にしては居家、処世、立国の本旨を明にして、之を口に言ふのみにあらず、躬行実践、以て全社会の先導者たらんことを欲するものなり(慶應義塾の目的)

つまり、体育会生は ー 体育会生こそ ー 勉学に励む必要があります。そして、勉学と学術面だけでなく、道徳面でも模範であることを目指さないといけません。現在、公になっているもの・なっていないものも含め、関係者の不適切な行いはありますが、そこに関しての言及は避けます。

勉学に慎むというのは学業成績のみで評価されるものではもちろんないです。入学・進級したら想定してるものと違ったり、成績の評価システムに関する議論の余地は永遠にあると思いますので。要は、体育会活動に力を注ぐのと同様に勉学に力を注げば良いと思います。(体育会活動にすら力を注いでないみたいな場合もあったり。。)
具体的には「大学生活で何を頑張ったか?」という問いに対して、「部活動」と答えるのと同等かそれ以上に「勉学」と答えられるというのが、模範となる勉学に対する姿勢・行動がそれにあたると思います。

しかし、自分の周辺の一部では、これと真逆の方向の人間もいました。不勉強を恥じず、落単や留年を過度にネタにすらする姿勢は愚か他ならないです。そのような人が組織の中心となり、体育会組織としても「勉学」を疎かにするというのは個人的に残念に思います。

結果を出すことについての重要性について

ここでは、体育会活動についてただ活動するだけではなく、結果を出す重要性について述べていきたいと思います。
まず、前提として、結果を出すだけのことが善ではないということは抑えておいていただきたいです。

部活動に対して望む姿勢として、

  1. 努力しないで結果が出ない人
  2. 努力して結果が出ない人
  3. 努力して結果の出る人 がいると思います。

私自身の考えですが、結果を出している人で努力をしてない人はいないと思います。1

努力をしてない人は論外だとして、努力しているからといって結果の出ないことをしょうがないとするのは間違っていると思います。

前述の通り、体育会は社会の先導者になるための「努力を結果に結びつけるための練習」だと考えます。その目的を達成する上で、努力したから結果は出なくていい、という考え方はむしろ傲慢そのものだと(ここで文章は途切れていた......)2


  1. もちろん結果を出せてない人が努力をしてないということではないというつもりは一切ないです。また、例えば、「練習をサボっている」のに「結果を出ている」人は「努力をしてない」と言えるのでしょうか。もちろん集団を乱すという観点でよくないですが、「ボディコンディションを整えて、それをしっかりと結果につなげる」という点で「努力している」と考えられます。型にこだわり体力をただ浪費することと、知力を使って結果につなげることのどちらが本当に努力していると言えるでしょうか。

  2. 昔書いた文章に対して今から続きを書くのも野暮だなと思った。